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ガンダムUC、楽しかったです。
歴代ガンダムファンへのファンサービスてんこ盛りで、ファンとしてはとても楽しめました。
「この人が出てきたら嬉しいでしょ? このメカが出てきたら嬉しいでしょ?」という、ファン心理をくすぐりまくる、完全にファン向けマニア向け作品でした。

作品全体としては、とても楽しませていただきました。ごちそうさま。
というところなのです、が、episode 7単体には色々と突っ込みたいところがありましたので、吐き出させていただきます。

以下ネタバレです。









フル・フロンタルやキャプテンの目指した「宇宙移民者の生活を良くしたい」という願いは、結局かないませんでしたよね。
この結末が、とても残念でした。

バナージはオードリーと幸せになったかもしれないけれど、それはあくまでもバナージとオードリー個人の幸せであり、バナージが目指した人類全体の「みんなの幸せ」にはならなかったのではないでしょうか。

ミネバが、「これは宇宙世紀最初の一番偉い人が決めたことだから守ってほしいんだけど、ニュータイプを見かけたら特権を与えてね」と言ったところで、人類の大半を占めるオールドタイプからすれば「何言ってんだコイツ? ニュータイプ気取りのジオン国国民に特権を与えろってか。 あんな酷い戦争を仕掛けておいて、ふざけるな」にしかならないのではないでしょうか。
「ニュータイプに特権を与える」という条文がもう、人類平等の理念に反する馬鹿げた条文であるように見えます。
こういった事は個人の願い程度にとどめておくべきであり、社会の法律とするには無理があるのではないでしょうか。

そしてネェル・アーガマのクルーは、今後ずっとお尋ね者として逃亡生活をするか、連邦に逮捕されることになるわけですよね。
報われないですね。
結局、バナージの目指した「みんなの幸せ」にはならなかった訳ですよね。
この、がんばった人たちが結局報われないという結末には、観終わった後で気持ちよくなれず、残念でした。

まあ、このUC 0096で宇宙移民者が幸せになってしまうと、この後のF91やVガンダムにおいても未だに宇宙移民者が虐げられているという歴史につじつまが合わなくなってしまいますから、シリーズものの都合として仕方のないことではありますが。


真のニュータイプは「刻が見える」=未来予測能力を持つ、というのは初代ガンダムでララァが言ってしまったので仕方がないのですが、そんな能力をバナージのように生きている人間が身に付けてしまうと、ギャンブルは絶対に当たるわ、人生で選択を絶対に間違わないわで、世の中が無茶苦茶になってしまいそうですね。

「ニュータイプ=何でもできる超能力者」にしてしまうのは、ちょっとやりすぎに思えます。
サイコフレームにすごい力があるというのは、『逆襲のシャア』でやってしまったから仕方がないのですが、本作はそれに輪をかけてサイコフレームを万能にしすぎじゃないですかね。
コロニーレーザーを止めたり、ネオ・ジオングのワケのわからない装備が全てサイコフレームのなせる業というのは、既にリアル路線からはかけ離れたファンタジー作品に見えます。

本作が歴代ガンダムシリーズをリスペクトしているというのはよく解るのですが、旧作の一部を都合よく拡大解釈して、ちょっとやりすぎている印象を受けました。

あと、ネオ・ジオングが崩壊した理由がわかりにくいですよね。
コロニーレーザーで損傷したユニコーンは、バナージの生まれ変わりによってサイコフレームが自己修復しました。
これとは逆にネオ・ジオングは、フル・フロンタルの死によってサイコフレームが力を失い崩壊した、ということでよいのでしょうか。
だとすると、ニュータイプ+サイコフレームは自己修復機能までも持っていることになり、やはり万能すぎると言えます。

本作は、ニュータイプ能力とサイコフレームの能力を拡大解釈しすぎで、好き放題やりすぎだと思いました。
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2014.06.08 Sun l アニメ l コメント (0) トラックバック (0) l top

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